惑星タイム

 その男が初めて人を殺したのは二十二歳、夏の夜だった。大嵐のあとのぬかるむ畑で友人の父親を農具で殴って殺したのだ。とても蒸し暑い夜で、いたるところで夜虫が鳴いていた。血とも泥ともつかない顔の汚れを腕でぬぐい、農具を畑に投げ捨てて空を仰ぐと、すっかり雲の無くなった空に砂粒のような星が輝いていた。それが男の最初の犯行だった。

 それから20年間、男は殺人を繰り返した。男は頭脳明晰で、家は裕福であった。当初の犯行については権力者の親族が闇に葬っていたが、それも限界になると男はその星を出た。その後、文明の進んでいない星を選んでは、人知れず命を奪うことを繰り返すことになるのだが、まずは宇宙の淵でひそかに活動している反銀河政府団体のドクターに頼み、全銀河の星人に義務化されている体内溶化式の発信機と感情移転システムを取り除いた。手術が無事に終わったことを知ると、彼はその後ドクターを殺した。

 男は数えきれないほどの犯罪を犯しながら逃げ続け、そして捕まった。転生説が一般化した今、銀河政府の裁きにおいて、死刑制度ははるか昔に廃止されていた。故郷の星に送還し、そこで裁かせることもできたが、事態を重く見た銀河政府は、男に星流しの中でも最高刑とされている惑星タイムへの強制星流しを決定した。
 
 ☆
 
 男がうつろな顔で天井を眺めていると、一匹のハエが目の前を横切った。天井ははるか高く、目が眩むほどに白い。顔を横に向けると、部屋の窓からはそれと対照的な暗闇が広がっている。男の眼球からはすでに遠望スコープが摘出されていたのでその先に何があるのかはわからなかった。ただ、今もこの宇宙上ではたくさんの生物が思い思いに活動していることは確かだ。
 そこは輸送船の船内で、男はベッドに縛り付けられたまま移送されていた。最初の数日は何が起こっているのかまるで分っていなかった。男がこれまでに仕込んだ、体中の装置はすべて取り外されており、さらに薬剤投与により男の感情は一定以上の高まりを禁じられている。
 長い夢を見ているようだ、と男は思った。一カ月ほどの移送期間の間ずっと、身動き一つとれず、食事もない。一日一つのカプセルを飲むだけで、排泄すら必要無かった。男は天井だけを見上げていた。
 
 ☆
 
 惑星タイムは特殊な星だった。そこの星人は薄緑色の滑らかな皮膚を持ち、みな同様に太っていた。張りはなく、水あめのような、重く、鈍いかたまりに緑色の皮をかけただけのように見えた。彼らの動きはとてもゆっくりしたもので、彼らが一歩足を進める間に男は5歩進ことができた。
 星人たちは彼の動きに驚き、賞賛しているようだった。彼らから見れば、男の動きは驚異的なスピードに見えるのだ。星人の中には涙を流すものや、卑屈な笑みを浮かべるもの、そして何を思ったのか敵意をもって向かってくる者もいた。しかし男は成人の五倍速く動けるので勝負にならない。すぐに地面に組み伏せることができた。ただ、成人の体は重く、厚い脂肪に守られているのか、それほどこたえている様子はなかった。男が成人を組み伏せるのを見て、男を囲むようにして集まっていた成人たちは散り々りにその場を離れた。
 
 男には星人と同じ家があてがわた。家の中にはベッドとトイレしかなく、あとは一面真っ白な壁だけだった。入り口のドア以外には窓一つない。ベッドの横には小さな畑があり、緑色の丸い野菜が育てられていた。食べてみると、酸っぱい味がした。輸送船を思い出させる白壁を、男はうんざりとした様子で眺めていた。
 
 その惑星の一日は驚くほど長かった。男は近所を散策しようかとも思ったが、長い輸送により、自身の想像以上に体調を崩していたので、休養に努めた。そして、永遠とも思える昼が終わると、星は暗闇に包まれた。家の外では、完全なる闇が星を包んでいた。空を見上げても、自分の手のひらを目も前にかざしても、そこには同様の暗闇が広がっていた。上下左右、真の闇であり、自分が宇宙船の窓から見た、宇宙の黒い海原に放り出されたような気分になった。やっとのことでベッドを探し出し、横になって、この星には明かりになるものが何もないのだと男は知った。
 正確にいえば、この星の一日は男の生まれた星の五倍の時間であった。昼と夜はそれぞれ六〇時間続く。男はこの途方もない最初の夜の暗闇の中で、睡眠と食事を繰り返した。
 翌日、男は持てるだけの食料を持ち、家を出て、方向を定めて歩き続けた。ほかの星人は家からは出ないようだった。誰とも出会わず、静まり返った道を進んだ。同じ形の家が並ぶだけの町はすぐになくなり、そこには見渡す限り畑が続いていた。彼の家と同じく、緑色の野菜が規則正しく植えられている。男は部屋から持ち出していた野菜を捨てた。
 男はこの星のことを調べるつもりだった。可能性は薄いが、文明を見つければ脱出できるかもしれない。そう考えていたのだ。男は次の日の夜明けまで歩いたところで諦めて町に帰った。どこまで歩いても、どこを見渡しても畑しかなかった。長い時間をかけて家に戻ると、男は壁を背に座り込んで眠った。
 
 こうして、毎日の時間を睡眠と食事で過ごす日々が始まった。時間を確認するものが無かったので、眠くなったら、目が覚めるまで死んだように眠った。夜の間は起きていても寝ていても何も変わらなかった。昼は壁を眺め、夜は暗闇に浮かんだ。何度か街を歩き、ほかの家へ入って星人との会話を試みたが、どの星人も男が最初に現れた頃ほどの関心を示さなかった。そしてしばらくした頃には、男に関心を持つ者はいなくなった。彼らは何も語らず、彼を見ることもしなくなった。
 この星の時間で一カ月ほどたったころには、男に投与されている薬の効果は切れていたが、男の感情が高ぶることはほとんどなかった。男はけだるそうに部屋の壁にもたれて座っていた。ずっと一点を見つめ、時どき思い出したように部屋のあちこちになっている野菜を食べた。これまで散々いろいろなことを考えたが、それが時間の無駄であることが男にもわかっていた。食べている野菜の栄養が少ないのか、ちょっとした運動でも息切れが起こり、男は体を動かすことをしなくなっていた。
 その頃から、男は起きていられる時間が少しずつ伸びてきた。以前は三度眠らなければ夜が来なかったのが、今では一度眠るだけで夜になっていた。しかし、夜の時間は相変わらず絶望的に長く、つらいものだった。男はこの苦痛から逃れるため、祈るようになっていた。暗い部屋の中で、神経が澄んでいくのがわかり、途方もない時間を過ごすのが苦痛ではなくなっているような気がした。
 
 ☆
 
 それから数カ月が過ぎたある朝、どこからか鈍い音が聞こえてきた。始めは微かな音だったが、すぐに空気を震わせるほどの音になった。こんな事態は初めてで、男は急いで家を出た。ずいぶん久しぶりの外出の気がした。
 家を出てすぐに、空に白い金属の塊のが見えた。それはものすごいスピードでこちらに向かってすすんでいた。男はすぐに走り出した。その塊は男の頭上を飛び越え、町の中心に降りたようだった。男は走ってそこに向かった。
 その塊の降り立った場所にはすでに星人たちが集まっていた。男が星人たちをかきわけて前に進むと、そこには巨大な宇宙船が浮いていた。そしてその下に一人の女が立っていた。周りの星人に何かを話しかけているようだが、早すぎて聞き取ることができない。男は混乱したが、周りの星人はどうも喜んでいるようだった。女の動きはとてもすばやく、次々と何人かの成人に話を聞いているようだった。その速い動きに星人はさらに盛り上がった。
 男はしばらく考え、理解し、自分の感情が蘇ってくるのを感じた。これは政府の薬のせいでもあったのだが、一度沸き起こった感情は波のように上積みされ、増幅していく。
 試しに、男は自分の足を踏み出そうとした。そのスピードはかつて自分が強化した肉体の動きと比べるとスローモーションのように遅い。
 男は過去の自分を思い起こした。誰よりも早く動き、時に正確に、時に大胆に命を狩っていたころの自分を。そしてさらに昔、友人の父親を殴り殺した瞬間のドロドロとした暑苦しさを。その瞬間、どうしようもない怒りを自分の胸の中に感じた。昔感じていたものと同じものだ。自身に向けたものなのか、他の星人に向けたものなのか、しかし男はその時には走り出していた。女が憎く、殺してやろうと大声を上げた。女はすぐに男に気付いたようだったが、男を見たまま特に動かなかった。男は全力で女の首に手を伸ばした。体力の落ちている今の自分では首を絞める意外に女を殺すことをできないだろうと考えたのだ。しかし首に手が届く寸前に女の姿が消えた。そして次の瞬間、男は信じられないようなスピードで地面にうつぶせに倒された。それを見て周りの星人がまた一段と湧いた。
 背中に乗っている女が何か言っているようだったが、早すぎて男には聞き取れなかった。あれだけ強く叩きつけられたのに、体のどこにも不思議なことに痛みはなかった。
 
genki
 


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