さよならパピヨン

 パピヨンは黄色い砂漠を歩いていた。乾いた風が優しく地面を撫でるので、星屑のように細かな砂がサラサラと踊っている。見渡す限りに同じ砂漠の広がっているが、暑さはなかった。
 パピヨンは地面すれすれに鼻を近づけ、フンフンと音を立てている。その鼻息で砂が左右に別れるように飛ばされた。のっしのっしと足をすすめるたびに、小さな足跡が残って、しばらくすると砂に埋もれて消えた。
「ちょっとお兄さん、一体何をやっているんだい?」
 緑色のサソリがパピヨンのの鼻の横で言った。先ほどからパピヨンについて歩いていたのだ。サソリの甲羅は太陽の光を反射して虹色に光っている。
「それにしても今日はいい天気だよ。本当のことを言うと、俺が生まれてからずっといい天気だけど。しかしこう砂が顔にぱちぱち当たるのはいけないねえ」
 確かに、細かな砂がサソリの体にハラハラと当たっていた。 嫌ならどこかに行ってしまえばいいのにと思ったが、パピヨンは黙っていた。サソリは口では文句を漏らすが、本気で気にする素振りはみせない。
「兄さんみたいに地面ばっかり見てる奴には初めて会うよ。どこから来たんだろうね。俺はこの砂漠のことしか知らないからね、もし良かったら話を聞かせておくれよ」
「それじゃあ、たとえば、お前は何を食べているんだい?」
 パピヨンは、うるさい奴は面倒だという態度を隠すことなく、ぞんざいに聞いた。
「小さな虫を食べるよ。夜になるとね、ここらに飛んでくるんだよ。月が綺麗でね、その月を目指してたくさんの虫が飛ぶんだよ。でもそのうちの半分くらいは途中で疲れてしまってここらに落ちてくるのさ。でもそいつらはすぐには食べちゃあいけない。月がそっと息を吹きかけるまで待つのさ。そうすると虫はきれいに光って、それは飴玉みたいに甘くなるんだ。俺はそれを食べるよ」
 パピヨンは足を止めて顔を上げた。
「それはおかしい。ここを随分歩いているけれど、まだ一度も夜になったことがない。ずっとだよ。いつになればそんな不思議なことが起こるんだ」
「そうだ。いつになったら月が上がるのか誰にもわからない。ここは他とは違うんだよ。だから俺も他とは違う。月が言うには、俺は昔は流れ星だったんだ。何かにつまずいてここい落ち着いちゃったんだ。でもそんなことはもう覚えていないよ。遠い昔のことだからね」
「お前のことは知っているよ。砂漠の嘘つきサソリだ」
 パピヨンはまた歩き出した。おなかがぐうっと鳴って、それを聞いたサソリがくつくつ笑った。
「兄さんは不思議だね。弟さんが見つかるといいね」
「どうしてそれを知っているんだい?」
「それもね、全部月が教えてくれるのさ。兄さんもわからないことがあったら月に聞いてみるといいよ。俺も星だったなら答えてあげられたかもしれないけど、今じゃあもう無理さ」
 サソリはそういうと体を細かく震わせて砂に潜った。
「俺はもう疲れたから眠るよ。じゃあまた会おうな」
 
 
 パピヨンはそれから三日間歩き続けた。鼻を地面にくっつけて、必死に弟のにおいを探したが、ただの一度もそれを感じ取ることはできなかった。どんなに必死になっても、しょっぱいような砂の香りが風に乗って流れているだけだった。
 緑のサソリはその後姿を見せなかった。砂漠には風の音と、砂の流れる音しかしない。
 パピヨンは随分やつれてしまって、肋骨が浮き出ていたし、足も引きずっていた。実際には、もう鼻で息をすることも上手くいっていなかった。それでもパピヨンは地面に鼻をくっつけていた。そして、そのまま頭から倒れこみ、砂漠に横になった。しばらくの間パピヨンは意識を失い、自分が倒れていることに気付くのにとても時間がかかった。
 ふと目を開けると、あたりはすっかり暗くなっていて、空には真っ白な月が浮かんでいた。月の光に照らされた風が砂を運び、パピヨンの横顔をはらはらと撫でた。
「ああ、僕はもう歩けません。僕の弟を探しに来たのですが見つけることはできませんでした。どうか、僕の弟の居場所を教えてください」
 パピヨンが弱々しく言うと、月は考え込むようにしばらく黙って、それからゆっくりと答えた。
「随分大変だっただろう。もう安心していい。弟は、いつも君と一緒だよパピヨン」
 パピヨンは安心したように深い息をついた。
「そうですか。弟はちょうどこの下にいるんですね。安心しました。ずっと心配していたのです。僕には父も母もいなくて、ずっと弟と二人だったのです。これからもずっと二人でいられると思うと、とても安心しました」
「ああパピヨン。君は正しい。君たちはこれからもずっと一緒に旅をすることになるよ。より道はするだろうけれど、ずっと一緒だ。今も本当はその旅の途中なのかもしれないね」
 月はそう言ったが、パピヨンはもう聞いていなかった。
「さよならパピヨン」
 月は優しく笑った。
 
 時間がたつにつれてパピヨンの体は徐々に砂に埋もれていった。月が空の真上に浮かび、パピヨンのとがった耳が砂に隠れて見えなくなったとき、あたり一帯の砂が青白く輝き、ちょうどパピヨンのいたところから、たくさんの小さな光の粒たちがはじけるように飛び出して、川の流れのように空を舞った。一つ一つが青く光り、時たまお互いにぶつかって大きな塊になったり、はじけ飛んだりした。
 月は優しく砂漠に息を吹きかけている。吹きかけられた部分は優しいぼんやりとした明るさに包まれた。
 光の粒たち次第に一つにまとまり、細かく煌きながら空を駆け巡り、やがて雲を突き抜けて、月へ向かって高く高く昇っていった。それを見ているものはもう誰もいない。
 
genki


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