サニヤ

 サニヤは空を飛ばない鳥だった。艶やかな緑色の羽毛は陽の光を浴びると虹色に光り、誰もがうっとりと眺めてしまう、珍しい種類の鳥だ。周りには脅威となる生物がいなかったので、その鳥たちは豊かに、幸せに暮らしていた。
 群れの中で、サニヤは歩くのは速かった。サニヤにとっては普通に歩いているだけなのに、誰もそれについてこれないのだ。
「そんなに急いでどこに行くんだい?」
 仲間たちはいつも馬鹿にしたが、サニヤはいつも笑っていた。仲間たちは、彼らよりも早く歩くことができるサニヤを認めることができないのだ。なぜなら、サニヤはそれ以外のことがてんで出来なかったからだ。何もできない自分が誰よりも早く歩くことが気に食わないのだ。サニヤは心の優しい子供だったので、あまり人前で早く歩くことをしなくなった。

「ジャムのなる木を探すよ」
 大人になったサニヤが群れのボスにそう言ったとき、ボスは止める様子もなく
「好きにしろ」
 とぶっきらぼうに言って、サニヤから群れの証の足輪を外した。群れにとって、サニヤはそれほど重要じゃないと思われていたのだ。サニヤは懸命に働いていたつもりだったが、要領が悪いので皆の足を引っ張ってばかりだった。なので、ボスの態度にもがっかりはしなかった。
 それとは別に、サニヤは足輪が外されたことが嬉しくてたまらなかった。いつも歩くたびにカラカラと鳴く足輪が邪魔でしょうがなかったからだ。
「ジャムのなる木について、誰からきいた」
 サニヤを送り出す時、ボスが訊ねた。
「青蛇の言葉が風に乗ってきたんだ」
 サニヤはそう言って、村を背に歩き出した。群れの全員がその後ろ姿を見送った。とてもいい気分だった。自分が何をする存在なのか知りたかった。皆と同じ、幸せな生活を送ることに興味は無かった。彼らの笑顔は素晴らしかったが、自分も同じように笑えるとは思っていなかった。

 頭の中に、青蛇の言葉が歌のように繰り返し流れている。

みんなが知らないジャムの木は  今はみるみる枯れそうで
誰も気づかず悲しいね
根っこは世界にはり巡り  とっても甘いジャム降らす
誰も知らないジャムの木は  さらさらさらさら川の先
七色ジャムの実ぶらさげて  今日も一人で世界を守る
それが今にも枯れそうで  世界が回らぬ日は近い
誰も分からぬその先は 誰も分からぬその先は
みんなが知らないジャムの木は  今はもう枯れ果てて
誰も気づかず悲しいね
根っこは世界に貼り巡り  とっても甘いジャム降らす

 サニヤは歩くのが速かった。目にも止まらない速さで足を動かして、まっすぐと進んでいった。季節は五月で、どこも草木が青々と茂り、サニヤの足をくすぐった。綿毛をつけた花畑を走り抜けた時などは、一斉に綿毛が宙を舞い、とても幸せな気持ちになった。
 昼過ぎに、初めて川にぶつかった。せせらぎ程度は見たことがあったが、自分が越えられない川は初めて見た。水はさらさらと波打ちながら流れている。
「問題は、上るか下るかだ」
 誰もいないのに一人で言って、上流と下流を一度ずつ見た。どちらも平坦な草原が続いている。上流にはうっすらと山並みが見えた。サニヤは上流の方へ歩き出した。川に映る空を見て、それから空を見た。川に映る空の方が揺れ動いていて好きだ。それにキラキラと輝いている。サニヤの足はどんどんとサニヤを川上に運んだ。

 季節が夏に移ろう頃、青蛇と会った。川岸に木が生えていて、その木陰の砂地で体を伸ばしていた。
「こんにちは。僕はサニヤ。ジャムの木の話をしていたのはあなたかい」
 サニヤは話しかけた。
「そうだ。俺の歌声が届いてよかった。ここに会いに来てくれたのは、サニヤが一番最初だよ」
 そう言われてサニヤは喜んだ。毎日歩いてきた甲斐があったからだ。
「でもね、そんなに痩せた体じゃあ、あそこにたどり着くのは大変だよ」
 青蛇が目を三角にして笑っている。
「ここらで休んで行くといい」
「いいえ、僕は少しでも早くジャムの木を見てみたいのです」
「でも、たどり着いたとしてもジャムが喉を通らなくて、おっ死んじまう」
「そんなことを言って、青蛇さんは僕が寝ているうちに、僕を食べるつもりなのでしょう」
 青蛇はしゃしゃしゃと乾いた声で笑った。
「ばれちゃしょうがない。だが厳しい道のりであることは確かだぞ」
「僕、歩くのが早いんです。きっとこの旅のために神様がそう作ってくれたんだと思います」
「それだったらどうして飛べるようにしてくれないんだ」
「いいんです。歩くのは好きですから」
 サニヤはそう言うと、羽をパタパタと羽ばたかせて見せた。
「わかった。あの山に向かうといい」
 青蛇は鋭く尖った尻尾を、地平線に頭一つ出ている緑色の山に向けた。
「ここから先は複雑だ。困ることがあったら出来るだけ大きな木を探して訊ねてみな。木の世界のことは木に聞くのが一番だ」
 青蛇はそう言うとさっと地面を掘って隠れた。サニヤはしばらく青蛇が埋まった場所を眺めたが、その後地面はピクリとも動かなかったので、首を二、三度降ってまた歩き出した。

 青蛇の言う通り、サニヤはずいぶん痩せ細っていた。体をふわふわに覆っていた翡翠色の羽毛も、艶が無く、ところどころ抜け落ちて、ずいぶん薄汚れた様子に見えた。しかしサニヤは気にせず、毎日変わらず歩き続けた。体が軽くなるにつれて、どんどんと進むスピードも早くなった。目線は進む方向に見える山の影の一点を捉え、時折、追い詰められたような厳しい表情を浮かべているが、本人はそんなことには気づかない。
 山のふもとに近づくに連れて、道らしきものは無くなっていった。あたりには草木が生い茂り、尖った葉や枝がサニヤの体をひっかいた。それでも、もがくようにして前に進んでいく。身体中に傷が増えた。
 山に入るとすぐに、一体どちらに向かうべきなのか見当がつかなくなった。何しろ周りを木に囲まれ、どちらが山を登る方向なのか全くわからないのである。
 夜になると、サニヤは大きな木の下で休んだ。月が空の片隅に浮かび、木々の影の間から見ることができる。もう村から出て随分経っている。村のみんなはまだ変わらない暮らしをしているのだろうか。みんなで森や川へ出かけ、季節ごとの物を慎ましく食べ、毎日星を見て眠っているのだろうか。村の子供たちはもう大きくなって皆家族を持っただろうか。新しい子供達は増えただろうか。そんなことを考えているととても幸せな気持ちになって、これが現実なのか、それとも夢の中なのか、頭の中で曖昧になってきた。
「珍しいな」
 眠りの世界に沈みかけた頃に、頭上で声がした。
「うん。珍しい。いや、たまにあることだけれども、今夜というのは珍しい。月が明るい夜だからかな。それに、私の元に来たのがいい、うん」
 サニヤはそのひしゃげた声の先を探そうと顔を上げて周りを見たが、どこにもその者らしき影は見当たらなかった。
「ここだ」
 今度は、声と同時に頭上木の葉がざわざわと音を立てた。背にもたれかかっている大きな木の幹がそれに合わせてゆっくりと揺れている。サニヤが見上げると大きなクスノキがにっこりと笑っていた。
「なんだ、話ができないのか?」
 サニヤは頷いて返した。もうのどがずいぶん細くなって、しばらく声を出していない。鈴のように美しいサニヤの鳴き声はもう聞けない。
「随分大変な目にあってきたようだね、うん。でももうすぐだ。今ぽっかりと浮かんでいる月が見えるだろう? あの方角へまっすぐ進んでいくといい。そうすれば彼女に会えるはずだよ」
 クスノキは月がよく見えるように枝を傾げた。
「久しぶりだなあ、君みたいにこの山を目指してやってくる奴が出るなんて。僕はまだ少ししか生きていないけれどさ、君で三人さ。一人目はすごい鎧を着た人間だった。大きな斧を持っていてね、だから誰も怖くて話しかけなかった。彼女を切り倒すつもりで来たんだと思ったしね。人間は嫌いだよ。無駄なことばかりを考えているからね。彼がどうなったのかは誰も知らないよ。次は、小さなてんとう虫だった。ピカピカの羽を持っていてね。僕たちみんなで遊んだものさ。アイツが僕らの体を歩き回るのがくすぐったくて面白かったなあ。彼も同じような満月の晩に、月に向かって飛んで行ったんだ。そのあとは誰も知らない」
 サニヤは目を閉じ、重そうな斧を抱えた鎧の男や、月光に反射するてんとう虫を想像した。斧はきっと、鈍く、鋼色にぎらついていていただろう。夜空を舞うてんとう虫はさぞかし美しかっただろう。そう思うと涙が溢れてきた。自分の体にまだ潤いがあることに戸惑いながらぎゅっと目を閉じてこらえた。
 目を開けて自分の足を見る。自慢の足はやせ細り、ささくれ立って、爪にはひびが入っている。もう以前のように速く歩くことはできない。虹色に輝く羽毛は見る影もなく。薄灰色にくすんでいる。眠るときでさえ、羽はしっかりたたむことが出来ずに、だらしなく広がっているのだ。
 自分にはジャムの木を探す資格などなかったのではないか。サニヤはそう考える。そうするとまた涙がこみあげてくる。
「でもね、みんな君みたいにボロボロだった。最後の力を振り絞るようにしてここまでやってきたんだ。鎧の男は何度も躓いて倒れてた。きっと大事な斧だったんだろうね。毎晩磨いていたよ。森に迷って、毎日歩き回っていたけれど、一度も使わなかった。てんとう虫は足が二つ抜けていた。だから歩くのが苦手で、みんなくすぐったかったんだ。だから彼はずっと飛びっぱなしで、そのうち、きれいな羽も抜けてしまうだろうってみんな心配していた」
 サニヤは体をクスノキに預けた。
「だから何にも心配しなくていいよ」
 クスノキは根をゆっくりと動かして、ゆりかごのようにサニヤの体を包んだ。
「ありがとう」
 サニヤはかすれる声でそう言い、眠った。
 翌日、クスノキが教えてくれた方角へ進むと、毎日迷っていたことが嘘のように、すぐに小さなせせらぎと出くわした。その透き通った水で、サニヤはそっとのどを潤した。
 サニヤはそのまま、せせらぎを上流へ辿って進んでいった。一歩一歩、とてもゆっくりした動きで、それでも少しずつ、目的の地に近づいている実感があった。
 やがて、周りの木々が開け、太陽の光が差し込む丘に出た。せせらぎは丘をまっすぐに進み、丘の上でこんこんと湧き出ているようだった。そしてその隣にとても大きな一本の木が生えているのが見えた。
(ああ!)
 サニヤの喉は声にならない感嘆の悲鳴を上げた。もう足は進まない。そう思ったが、体が倒れるように前に進んだ。
 その枝葉の合間にキラキラと輝くジャムが確認できた。黄色、赤、紫、緑。色とりどりのジャムが重く木の枝を垂れ下げている。
とても長い時間をかけて、サニヤは大きく広がる木陰にたどり着き、倒れこんだ。見上げると葉の間から太陽の光が輝き、ジャムに反射して七色に降り注いだ。
 僕はここに来たかったんだ。
 サニヤが言った。
 来ることが出来て本当によかった。これで僕は使命を遂げることが出来た。
 若草が頬をくすぐり、地面を通してせせらぎの水の湧き出る音が聞こえてくる。
 このせせらぎは、僕の村にも続いているのかな。
 サニヤが言うと、
「世界中に続いています」
 とジャムの木が答えた。優しく、心に響くような声は心地よかった。
「よく頑張ってくれました。あなたのおかげで、世界中のみんなが助かります」
 その言葉に、サニヤは生まれて初めて本当の幸福を感じることができた。胸が熱くなり、涙がどんどんと目から零れ落ちた。目が開くことはもう無かったが、それでも七色の輝きを感じることが出来た。

 それからしばらくたって、サニヤの体がぼんやりと輝きだした。白い輝きは次第にサニヤの体を溶かすように美しい緑色に変わり、体が見えないほどの輝きになったあと、地面にゆっくりと吸い込まれていった。そして木の根に吸い込まれ、幹を伝って枝にゆき、小さな輝きとなって枝を垂らした。
 あたりには、ジャムの木の揺れる音だけが、優しく響いている。

genki


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA