波の音


 女は疲れていた。
 砂浜に一人座り込んで、水平線の煌きをじっと見ている。風もない、とても晴れた日だ。空気は乾燥し、春の香りがすでに始まっている。
 水平線の先は何も見えず、ただ波だけが、光を反射しながら繰り返し音を立てている。砂浜のところどころには、古びた骨のような流木が見られる。
 女は考えていた。自分の人生とは何なのだろうか。男たちはよく働いた。女たちも疑いを持つ様子もなく働いている。村には自然と子供が増え、みな幸せそうだ。しかし自分にはそれがわからない。何のために生き、この後はどうなっていくのか。子供を産み、村を大きくし、さらに多くの動物や魚を捕ることになる。果たしてその発展の先には何が待っているのか、見当もつかなかった。
 すぐには村に戻る気にならなかった。帰っても仕事が待っているだけだ。器を作り、木の実をつぶし、火を起こして水を煮る。その繰り返しだった。それに疑問を持っている者は、女の見る限り村にはいない。自分がおかしいのかもしれない。
 ふとついた手に違和感を感じて、砂を払うと、白い貝殻があった。内側が滑らかに白く光り、ちょうど手に収まるほどの大きさだ。
 女にとってそれは特別珍しいものでもなかったが、拾い上げて眺めてみた。内側の面を指で撫でてみた。その感触はいつもとても気持ちがいいものだ。光の加減で、時折虹色に光って見えることもある。頬杖をついてそれを眺める。 
 女はある男にひそかな恋心を抱いていた。貝殻の吸い込まれるような輝きの向こうにその男の顔が浮かんでは消える。
 しばらく前の狩りの日、男が村へ戻って来ることはなかった。他の男たちの様子からその狩りは困難なものだったと、女にはわかった。中には足や腕を折った男もいた。女は悲しんだが、それを回りに伝える術も、また周りがそれを察する術も、まだそこにはなかった。ただ、皆黙って過ごした。
 女は石で作ったひじりで貝を突いた。貝の中心には小さな穴が開いた。穴をこするようにひじりを動かすと、しばらくして穴は綺麗な丸になった。
 女が手で砂を払いながら探すと、周りには同じような貝殻がたくさんあった。それらも同じように突くと何枚かは割れてしまったが、何枚かは同じように穴が開いた。
 女は貝の穴を通して水平線を覗いた。
 いつか、時が流れたら世界はどうなっているのだろう。そのどこかに、自分の愛した男はいるのだろうか。この思いを、伝えることが出来る日は、いつかやってくるのだろうか。
 水平線は赤く染まり、風が冷たくなっていた。
 その日から、女は仕事の合間に、ふらりと村を抜け出して海岸線に行き、貝を見つけては穴をあけた。それで気が紛れたのだ。綺麗な丸い穴をあけるのは難しかったが、次第にコツをつかんだ。優しく、撫でるようにひじりを滑らす。
 やがて、その姿を見た子供たちが真似をはじめた。最初は貝だったが、他にも木の葉や木の実の殻など様々なものに穴をあけるのが、遊びとして流行した。女は馬鹿らしくなってやめたが、砂浜や村のあちこちで穴のあけられた貝殻が見られるようになった。
 女は年老いて死に、村もしばらくして無くなった。
 他の住処を求めて移動したのか、獣に襲われたのか、病によって皆亡くなったのか、それは誰にもわからない。

 ☆

 そのホテルのある会場で、まさに発表が行われようとしていた。
 簡易的な壇上の上の男が咳払いをすると、数人の記者はその男に注目した。
「では、時間になりましたので、始めさせていただけますかな」
 恰幅の良い、背の低い男は、真っ赤なネクタイをなおした後、威厳を持たせた声でそう始めた。
「今回、この町から見つかったものは世界的に例のない、大変貴重なものです。本来は持ち出し厳禁なのですが、特別に許可が出ましたので、今日は一つお見せしましょう」
 男は足元から小さな銀色のケースを取り出し、記者に向かって開いて見せた。記者たちはどよめき、一斉に写真を撮る。部屋にはフラッシュの光が溢れた。
 ケースの中には、手のひらより少し小さい、中心に小さな穴の開いた形跡のある貝殻の化石が入っていた。
「これは以前、公園開発の際に発見されたわが町の遺跡で発掘されたものです。穴が開いているのがお分かりかと思いますが、専門家の先生の話では、幾枚かの貝殻を草のつるで束ねていた痕跡ようですな」
「町長、これは大きな発見なのですか」
 記者が問うと、男は大きく頷き、
「いかにも。これが発掘された地層ははるか昔の物。装飾として身に着けていたのか、宗教儀式的用法かはこれから調査しますが、どちらにせよ世界的に見ても非常に貴重な発見であります。わが町は早速、この遺跡の整備を進め、文化遺産への登録、ひいては専門資料館の建設を進める方針であります。これは、この町の目玉としてアピールしていくに十分でしょう」
 男は少し興奮したように言った。
「公園の方はどうなりますか」
別の記者が口を開いた。
男は少し困ったように思慮した後、
「このような事態なので公園開発は一時中断もやむをえませんでしょう。しかしながら、資料館建設の際には、小さな遊技場を併設するのもよさそうですな」
と笑って言った。
 会見が終わり、男が部屋を退出した後、機材をかたずけている記者たちが話している。
「こんな田舎町に遺跡があるなんてなあ」
 残っているのは記者だけなので、遠慮のないことが言える。
「町長も息巻いていたな。なにしろ他には何もない町だから。気持ちはわかるが、これから調査なのに興奮しすぎじゃあないか」
「しかし、おかげで我々も明日の一面ネタを探す心配から解放されたわけだ」
「でも、誰が調べたんだろう」
「K大のF教授だという話だ」
「田舎大学だなあ、大丈夫か」
 一人がおどけた様子で言った。
「調べるうちに間違いでした、っていうのは勘弁してほしいね」
「おいおい、こわいこと言うもんじゃないぞ」
「そうだ、町ではもう噂が広まって、お祝いムードなんだ」
 記者達は苦笑し合い、
「そうだな、でもまあこのネタではもって一週間。さっさと次を探さないとな」
 と部屋を後にした。
開けられた窓からは、微かに波の音がきこえる。

genki
 


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