夕日とテクノロジー

 男は医者と呼ばれていた。幼い頃から医者として育てられ、やがてこの町にやってきた。町のはずれにある小さな家で、ときたまにやってくる患者の治療が彼の仕事だった。
  既にテクノロジーは人間の想像の範囲を超えて発展し、彼らはそれを持て余していた。450年前の大戦以降、世の中から争いは完全になくなり、人々は有り余る時間でテクノロジーを発展させ続けた。より効率的に、より便利に、より人間らしく世の中は発展してきた。テクノロジーはそのもの自身の力で更に向上を繰り返し、次第に誰もそれを管理できなくなっていた。

「センセイ、労働とは何ですか?」
 ある日、定期検診に来ていた一人の女性患者が彼に訊ねた。診察室は無機質でやけに明るく、ツンとする匂いがする。
「言葉は知っていますし、当然意味も知っています。でも、イメージがつかめません」
 男は彼女に服を着せながら、
「どうしてそんなことを」
 ときき返した。彼女は洋服のボタンをとめ、
「時々考えるんです、私たちはなぜ生きているんだろうって。今や労働をしている者は一人もいません」
 と言った。
「それがいけないことだと思うのかい?」
「わかりません。ただ、私たちは毎日それなりに楽しく過ごしています。誰もが平等に。センセイ、知っています? もうすぐ新しい次元宇宙への旅行が可能になるんですよ。考えるだけでわくわくします。でも、楽しく過ごすだけの毎日に何か意味があるのでしょうか。かつてはみな、労働をしていたとききます」
 女は無表情で男を見る。
「ふむ」
 男は困ったように彼女を見返した。
「残念ながら、私にもそれはわからない。私たちはかつて物を奪い合い、更に物を作るために全てを利用していた。地球が壊れそうになっても、誰もが富を求め、世の中の発展を目指していた。そのための仕事を労働と呼んでいたんだろう。そのために、多くのことを犠牲にしてきた」
「今は全てが満たされているのでしょうか」
 女は質問を続ける。
「いいや、今も発展は続いているよ。でもそれはすべて自動的に行われている。必要なものは全てテクノロジーが作り出してくれる。私たちはもう地球のことや、自分たちのことを考える必要はなくなったんだ」
「私たちが考えることなく、勝手に発展していく世界。昔の人が見たら、きっと羨ましがるでしょうね」
 女は少し微笑んで言った。男は小さくため息をつき、
「どうだろうか、正直なところ、私にはわからない」
 と言った。その様子を見た女は不思議そうに訊ねた。
 「センセイのご先祖がこのようなテクノロジーを生み出したんですよね」
「たしかに」
 男は頷く。
「しかし、テクノロジーが人間を追い越したとき、我々に価値はなくなってしまった、と思える時がある。時たまね」
「私にはわかりません」
 女は首を横に振る。
「ふむ、今まで、君のような疑問を持つ者はいなかったんだが、これもテクノロジーの進化なのかもしれないね」
「生まれてから、こんな疑問を感じたことが無いから、そうかもしれません」
 男は少し寂しそうな笑顔を彼女に向けた。
「人には労働が必要なんだ。私の医者としての仕事があるのも、君たちの優しさだろうね、仕事がないと、人はダメになるから」
「私にはわかりません」
 と女は同じ言葉を口にした。
 男は女が服を着るのを待ってから、慎重に女に語りかけた。
「さて、もしさっきの疑問に不安を感じているのなら、今のうちに取り除くこともできるが、どうするかね?」
 男が訊ねる、女は少し考えて、
「今はそっとしておこうと思います」
 と答えた。男はそれを聞いて小さく頷いた。
「感情というのは取り扱いが一番難しいんだ、プログラムみたいに簡単にはいかない」
「これが、感情?」
 女が無表情で言った。
「心配することはない、まだそうと決まったわけじゃないからね」
 男が優しく言う。女は黙っていた。
 西の窓から、プログラムされた通りの西日が部屋に差し込み始めた。女の透き通るような美しい横顔が赤く染まる。
「そうだ、そういえば」
 男が明るい口調で言った。
「新しい予備バッテリーが開発されてね。ずいぶん評判がいいんだ。重量が40パーセント軽減されているんだが、非常時は3カ月活動できる。交換するかね?」
「いいえ、いらないわ」
 女はおかしそうに笑って答えた。
「予備バッテリーなんて生まれてからこの250年間、一度も使っていないもの。無くてもいいと思っているのよ」 「そうか、ではやめておこう」
「ええ」
 女はそう言うと立ち上がって男にお辞儀をした。
「センセイの話はいつも面白いわ」
「いや、お世辞はよしてくれ」
「感情について、少し考えてみるわ」
「あまり無理をしない方がいい。答えのないものや、答えの決まりきっていることについて悩むのが感情だ。人間の宝とも欠陥とも言われていた。だから私の先祖は君たちにそれを与えなかった」
 男がゆっくりと諭すように言った。
「ええ、でもどうしてそれが私に」
「さあ、それが君たちの選んだ生き方なのかもしれないね。進化、と言えないこともないだろう」
「進化? よくわかりません。昔はこんなに思考プログラムが停止することなんてなかったのに」
「深く考えることはない、楽にしなさい。辛くなった時にまた相談においで」
 男はそう言って、少し間を置いて続けた。
「私たち人間がその感情とどう付き合い、その結果どうなったかということを教訓にすると良いだろう」
「そうね、家でゆっくり調べてみるわ」
 女はそう言った。
「出口まで送ろう」
 男は女と一緒に外に出た。赤い空に薄い雲がかかっている。
「じゃあセンセイ、ありがとう」
 女が言った。
「ああ、しっかり楽しみなさい。とっくにこの世界は、君たちの物なのだから」
 と男は答えた。
 女は小さく会釈すると、内蔵されたエアブラストを作動させて浮き上がり、西の空へ去って行った。 

genki


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